記事
ARTICLE
- MEMBER

〇プロフィール
名前:熊谷茉海
入社年度:2025年
出身:岩手県
出身校:東北文化学園大学
趣味:たまごっち、買い物
大学1年から4年間、仙台の球場でビールの売り子のアルバイトに熱中していました。スタンドを埋め尽くす何万人というお客さんのなかから、ビールを求めている手を瞬時に見つけだす仕事です。広いスタンドの隅々まで目を配り、誰が自分を呼んでいるか、どこにお客さんがいるかをキャッチしなければなりませんでした。後半には売り子たちをまとめるお世話係まで任されるようになり、自分のなかに確かなプライドが生まれていたのです。
私が配属された拠点は、TODAY is New Life宮前平でした。ほかの事業所に比べても室内が広く、個室や職員室、公文をする部屋がしっかりと分けられています。窓が大きいため晴れの日はとても明るく、気持ちよく働ける素晴らしい場所です。
周辺は住宅街で大きい道路に面していないため安全で、近くの公園へみんなでお散歩にいける抜群の立地を誇っています。新卒としての新しい生活が、この最高の職場で始まりました。しかし、初めて療育室に入ったとき、目の前の光景に私は完全に圧倒されてしまいました。
そこにいたのは、15人の子どもたち。療育室にいる15人全員が何をしているか、まったく見切ることができません。あっちで男の子が急に叫びだしたかと思えば、こっちではほかの子に手を出してしまいそうな子がいます。ビール売り子の経験もある自分は、視野が広いほうだとずっと思っていました。周りを見る力については少しの自信を持っていましたが、球場でお客さんを探すことと、予測不能な動きをする子どもたちの安全を守ることは、まったく別次元の話だったのです。
本当の意味で周りを見ることができていない自分に、強い悔しさがこみ上げてきましたが、同時に、プロとしての強い危機感を覚えたのです。
そこから私の、本当の意味での周りを見る力を養う日々が始まりました。ただ空間を眺めるのではなく、子どもたち一人ひとりの行動の予兆を捉えるための実践を重ねていきました。
さらに、3月から始まった送迎業務での運転が、私の視野を大きく広げる転機となったのです。最大5名の子どもたちを乗せて運転をこなすなかで、周りの安全を見る力が余計に身につき、本物の周りを見る力へと成長できました。
今では、療育室にいる15人の子どもたち全員の動きが、自然と視野のなかに収まるようになっています。ほかの子に手を出してしまったり、急に叫びだしたりする子がいても、避けるようなことは絶対にしません。
そうした行動の裏には、必ず何か伝えたい理由があるはずです。手を出さないようにするためにはどうしたらいいか、どうやってこちらに気持ちを打ち明けてくれるかを常に考えています。その子の言い分を受け止めて認めてあげる関わりを徹底できるようになりました。
大きな挫折を経験したからこそ、私は本物のプロフェッショナルとしての視点を手に入れることができたのです。
私の変化は、子どもたちとの関係性にもはっきりと現れはじめました。子どもたちは、この先生は自分を見てくれるのかを確かめるために、わざと座らなかったり物を投げたりする「試し行動」をすることがあります。
最初は自分に対しても、激しい試し行動をしていました。しかし、諦めずに一人ひとりと正面から向きあいつづけたのです。すると、子どもたちがだんだんと試し行動をしなくなり、これが嫌だったからこれをしたんだ、と理由をちゃんとお話ししてくれるようになりました。
1年いる先生だとわかって、私を信頼してくれたのだと感じられる瞬間に、大きなやりがいを抱いています。入社したばかりのときに利用していた2歳の男の子が、3歳になって年少さんになりました。
2歳のころは発語がほかの子よりも遅れていて、全員のことをママと呼んでいたのです。それがだんだんと発語できるようになり、今ではちゃんと私の名前を呼んで、先生と呼んでくれるようになりました。「先生!」そう呼んで笑顔を見せてくれることが、今の私にとって最高に嬉しい瞬間です。
プライベートの時間も、私の大切な仕事の活力になっています。学生時代のバイトではネイルが禁止されていましたが、この会社はネイル自由という環境の自由度があります。爪をキラキラさせておきたい、テンションを上げたい、というこだわりを叶えながら働ける環境です。
また、生活に合わせて半年ごとに変更できる休日の選択制という福利厚生も大きな魅力です。自分の生活や体調に合わせて柔軟に調整できるため、仕事もプライベートも両立してやりたいことを一緒に叶えられます。
休日のストレス発散は、とにかく欲しいものを買うことです。最近はたまごっちのグッズ集めや、大好きなガチャガチャを回数を気にせず回すために探し回ったりしています。最近はちいかわのボンボンドロップシールが欲しくなり、実家の岩手県の家族に頼んで買ってもらいました。
あの完敗の悔しさを知っているからこそ、私は今日も全力で子どもたちと向きあえます。本物のプロとして、この広い療育室で、誰一人見落とさずに正面から受け止めつづけます。




