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【オンアンドオンの原点を知る】創業までの道のり

小学生のときに抱いた「治療家になりたい」という夢。そこから始まった道のりは、決して平坦ではなく、不安や葛藤、そして厳しい修行の毎日がありました。

それでも「人を笑顔にしたい」という気持ちだけは変わらず、少しずつ夢を形にしていった創業者。最初の患者様がたった2人からのスタートだったからこそ、今も一人ひとりと本気で向き合う姿勢がオンアンドオンの原点になっています。

「治療家になりたい」小学生が掲げた夢

私が「治療家になりたい」と思ったのは、小学校高学年の頃でした。
柔道をやっていて、あるとき先輩に絞め技をかけられて、首が動かなくなったんです。そしたら道場の先生が呼んでくれて、首を見てくれたんです。ほんの1分くらい触ってくれただけで、痛みがスッと消えて、首が動くようになったんですよ。

「え、さっきまで全然動かなかったのに!」ってびっくりしましたね。あまりに感動的だったので家に帰ってすぐに両親に話したんです。そうしたら両親が、そうやって人を治す仕事があるんだよって教えてくれて、小学校の卒業文集にも「接骨院の先生になりたい」って書きました。これが治療家を目指したきっかけです。

高校時代の不安と転機

小学生の時から目指していたからといって、治療家を目指して一直線というわけではなかったんです。高校に入っても部活はやらないし、勉強もしてないし。心のどこかでは「治療家になるんだろうな」って思ってたけど、行動が伴ってなかったんです。

そんな自分に不安を感じ始めたのが高2のときです。「このままで本当に夢を叶えられるのか?」って。そこでやっとスイッチが入って、勉強を始めました。

当時、柔道整復師の専門学校は全国で十数校しかなくて、すごく倍率が高かったんです。推薦状をもらっても落ちる人がいるくらいで。だから本気で取り組まないと無理だって思いました。親に負担をかけたくなかったので、学費が一番安かった仙台の学校を目指して、死ぬ気で勉強して、なんとか合格しました。

劣等感を力に変えた専門学校時代

専門学校に入ってからも、「勉強してこなかった」という劣等感がすごく強かったんです。だから「絶対に学年で一番になろう」と決めました。遊んでいる時間もすべて勉強に使って、授業も復習も徹底しました。

その結果、3年生のときには90人以上いる中でトップを守り続けて、卒業式では首席として表彰されました。あのときは、「本気で努力すれば自分は変われるんだ」って、はじめて自信を持てました。

国家試験は最高で1日18時間勉強しました。「合格すればいい」じゃなくて「満点を取りたい」って思ってたんです。結局、200点満点中192点。あのときは「やれるところまでやりきった」っていう達成感がありました。

卒業後はさらに鍼灸も勉強もしたくて、病院でリハビリの仕事を経験しました。そして1年くらい経った頃、やっぱり「もっと現場で力をつけたい」って思って、仙台で一番厳しいって評判の接骨院に弟子入りしたんです。

修業時代――苦労が苦じゃなかった日々

一番厳しいと言われているだけあって、その接骨院は、本当に休みがなくて、朝7時半から夜は11時や12時まで働いていました。正月しか休みがない、まさに修行の日々でした。

でも、不思議と苦じゃなかったんですよね。やりたいことをやれてるっていう喜びがあったから。そしてその接骨院で4年が経った頃、学生時代の同級生に再会する機会がありました。

久々に会ったその同級生は東京で開業して2年目を迎え、2店舗目を出すタイミングでした。「一緒にやらないか」と声をかけてくれたんです。そこで院長を任されて、半年で売上を倍にしました。院長という立場でしたが、院長以上のことを任せてもらっていたと思います。勝手に週休2日にして後日報告したり(笑)。すごくやりがいがあったし、自分でも手応えを感じました。

独立。たった2人の患者様からのスタート

ある日、友人から「もう自分でやってみろよ」って言われたんです。正直、そのときは経営なんて全然わからなかったし、不安も大きかったんですけど、「挑戦しなきゃ何も変わらない」と思って会社を立ち上げました。

2000年に法人を作って、2001年4月に整骨院をオープンしたんです。初日は患者様がたった2人だけ。でも、その2人に本気で向き合って治療をして、帰り際に靴を揃えて渡したら「明日も来るよ」って言ってくれたんです。その一言が忘れられなくて、「よし、これでやっていける」って心の底から思えました。独立っていうのは、恐さもあるけど、あのときの達成感と手応えがあるからこそ、今も走り続けられてるんだと思います。

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